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沈まぬ太陽は実話なのか?モデルや事実との違いなどを徹底解説!

全5巻という大作小説として、1995年から1999年に週刊新潮で連載された、山崎豊子氏の小説、沈まぬ太陽。

520名の死者を出した日本航空123便墜落事故について描かれており、日本航空の関係者にも多数の取材を行っていることから、実話なのではと思う仕上がりになっています。しかし、この小説は本当に実話なのでしょうか。本記事では、沈まぬ太陽は実話なのかについて、お話します。

 

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沈まぬ太陽はどこか実話でどこかフィクションなのか

ここからは、恩地の処遇、123便墜落事故、国民航空(日本航空)という組織、以上3つについて、物語と実際のところを比較していきます。

 

①恩地の処遇

ドラマにおいて、恩地は労働組合の委員長を務め、会社と対立したことで僻地を10年近くもたらい回しにされています。その後、連続事故を起こしたことを問題視され、国会に呼ばれた社長に、委員の一人が恩地のことに言及したことで、不当人事が明るみとなり、恩地は日本に戻ってきます。しかし日本に戻ってからも冷遇は続き、恩地はほとんど仕事のない閑職に追いやられます。

 

恩地のモデルとされる小倉寛太郎氏もほぼ同様に、組合活動に本気になったために、カラチ、テヘラン、ナイロビへとたらい回しにされ、その期間は10年です。

 

その後、1972年5月15日から11月29日、たった半年の間に、日本航空羽田空港暴走事故、日本航空ニューデリー墜落事故、日本航空金浦空港暴走事故、日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故、日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故と、連続事故を起こしたことが問題視され、社長は国会に呼ばれます。

 

そのときに小倉氏のことを言及された社長が、至急事実関係を調べて善処すると答弁したことがキッカケで、日本に戻されることになります。日本に戻ってからも、管理職であったものの閑職であり、ほとんど仕事はない状態に追いやられます。

 

ここまでは、恩地と小倉氏の辿っている道は、ほとんど同じです。

そして、1985年8月12日。航空機史上最悪の123便墜落事故が起きます。

 

恩地は、飛行機が落ちたのが山の中ということで、山岳部のメンバーとして救援に向かうことになりますが、警察から、加害者である国民航空は現場立ち入り禁止とされ(それまでの事故で事実を隠蔽してきたことが影響していると思われます)、恩地はそのまま、関東、関西からやってくる乗客の遺族の世話をする遺族係となり、その後は補償交渉の対応をすることになり、大切な家族を亡くした遺族の怒りと悲しみを、直接浴びることになります。

 

小倉氏は、日本に戻っても閑職に追いやられてほとんど仕事がなかったため、稼ぐために、顔が通じるアフリカ大使館を周ってセールスを行い、それでも足りず、再びアフリカに行って、現地の人や在留邦人を相手に仕事をしていたようで、そうしているうちに123便墜落事故が起こります。つまり小倉氏は、事故について直接の対応はしていないということになり、この部分については、二人の動きはまったく異なります。

 

その後、恩地のほうは、会社立て直しのために会長に就任した国見から直接声をかけられ、会長室の部長に抜擢され、会社に巣食う利権集団との戦いを繰り広げていきます。しかし、政治家までも絡んだ利権に群がる魑魅魍魎は、正面から立ち向かうのはあまりにも強大で、国見は志半ばで更迭、会長室も解散となり、恩地は再びアフリカに赴任させられます。

 

小倉氏は、事故が起こってからもしばらくアフリカにいましたが、日本航空の会長となったカネボウの伊藤氏から直接声をかけられ、帰国して会長室の部長に就任、伊藤氏とともに会社の改革に取り組みます。

 

しかし、物語と同様、利権の温床となっていた会社からの攻撃は激しく、伊藤氏は志半ばで退任、会長室が解散となり、小倉氏もアフリカに行くことになります。

 

こうして見ると、恩地と小倉氏が辿った道は重なる部分が多く、実話とは言えないまでも、ほとんど同じ道を歩いたといっていいと思います。

 

②123便墜落事故

沈まぬ太陽で舞台の中心となる国民航空のモデルは、日本航空といって間違いないと思います。ドラマの中の123便の事故は、実際の事故と日時も同じで、乗客乗員524人のうち、死亡者数は520人、生存者は4人で、単独機の航空機事故の死亡者数として過去最多という部分についても同じです。

 

事故の原因についても、1978年6月2日に伊丹空港で起こった"しりもち事故"の後、ボーイング(ドラマではボードウェイズ)によって行われた圧力隔壁の修理に不適切な部分があり、それが原因で破損し、事故が起こったという部分も同じです。

 

123便墜落事故と、その遠因とされる会社の腐敗と利権が中心にある沈まぬ太陽を読めば、誰もが現実の事故を思い起こし、会社の体質も実話だと思ってしまうのも頷けます。

 

それを象徴するように、沈まぬ太陽が週刊新潮に連載されることや映画化されることについて、日本航空の経営陣が強い不快感を示し、雑誌連載中は日本航空機内に週刊新潮は置かせなかったというエピソードも残っています。

 

事故については、ほとんど実話と言えると思います。

 

③国民航空の腐敗

ドラマでは、健全な経営とは程遠い、私腹を肥やす社員と、政治家や運輸省(2001年から建設省、国土庁などと統合されて国土交通省)との癒着によって、国民航空は末期がんと称されるほど腐敗しており、これなら事故が起こっても不思議ではないし、事故後も真摯に対応して改善などしないだろうと思えるほど酷い有様です。

 

では、モデルとされる日本航空はどうだったのでしょうか。

たとえば、ドラマの中で登場する、国民航空の関連会社でホテル事業を手掛ける国航開発は、ニューヨークのグランドホテルを購入、社長の岩合は嘘の計上をし、実際の買収額との差額、約9億円を自分の懐に入れています。

 

ホテルは購入してすぐに、購入額の半分近くの費用をかけて全面改装、ホテルの部屋が年中満室だったとしても負債が増え続けて、早晩破綻するという状況が描かれていますが、似たような話が日本航空の関連会社だった日航開発にあります。

 

1984年10月。日本航空の系列会社だった日航開発が、1億7500万ドルでニューヨークの高級ホテル、エセックス・ハウスを買収し、ロビーや客室を全面改装し、ニッコー・エセックスハウスとして運営していました。

 

その後、日航開発は改装費用の回収が不可能なことが分かっていながらホテルを買収し、改装したのではないか、買収の際に正式な鑑定書ではなく、簡易鑑定書で済ませているのがその証拠ではないかという批判をされており、半官半民の日本航空の放漫経営の象徴と言われたほどでした。

 

また、バブル崩壊後の1992年度の決算では、538億円という膨大な経営損失を計上し、経営不振に陥っていますが、その原因の一端が、過激な労働組合活動(日本航空には組合は複数あった)に後押しされた人件費の高騰、1980年代以降に日航開発が行った海外のホテルなどへの無計画な投資、燃料の先物取引の失敗などがあったとされています。

 

このうち、関連会社のホテル買収や、燃料の先物取引については、沈まぬ太陽の中でも取り上げられており、こうして見ると、ドラマで描かれる不正がすべて事実ではないものの、完全なフィクションでもないということができると思います。

 

⑤物語と現実

沈まぬ太陽の作者、山崎豊子氏は本作について、小説の中で「多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基づき、小説的に再構築した」と記載しています。

 

この意味は、事実に基づいてはいるものの、ノンフィクションでもなく、ドキュメンタリーでもなく、フィクションということだと思います。

 

物語は、読者や視聴者を飽きさせず、主人公に感情移入させ、ドラマチックな展開を繋げていくことで完成します。

 

恩地のモデルとされる小倉氏が、事故後に遺族と触れ合っていないのに、恩地は遺族係として、一番きつい現場に配属されているのは、事故後のもっとも厳しい状況を、主人公目線で描くためということが言えると思います。

 

小倉氏が体験したことは、そのまま描いてもドラマとして成立しそうな内容ではありますが、物語として完成させるためには、脚色や展開を変える必要も出てきます。

 

モデルとなる人物がいないとされる行天を、恩地の対極として描くことでコントラストを作り、国民航空やそこに関わる政治家や官僚を完全な悪者として描くことは、物語を盛り上げるためには正しい構成です。

 

すべてが事実でもなければ、完全なフィクションでもなく、著者が言うように、事実に基づき小説的に再構築したというのが、沈まぬ太陽を語る上で一番適切な表現なのではないでしょうか。

 

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沈まぬ太陽はどんな物語なのか

沈まぬ太陽は、原作は小説で、2009年には渡辺謙さん主演で映画化され、2016年にはWOWOWによって、上川隆也さん主演で全20話のドラマ化がされています。

本記事では、ドラマ版の沈まぬ太陽をベースに、話を進めていきます。

 

小説では、アフリカ編、御巣鷹山編、会長室編という三部に分かれていますが、ドラマ版では、123便墜落事故が起こるまでの前半と、事故後の対応と、明らかになっていく国民航空(日本航空がモデルとされる)の腐敗と利権の構造、その利権に群がる魑魅魍魎と対峙していく主人公、恩地元の姿が描かれています。

ここでは、三部に分けてあらすじをご紹介します。

 

①組合委員長として

主人公の恩地元は、予算室に勤務するエリートで、同期には営業課の行天四郎がいます。

ある日出勤すると、労働組合委員長に任ずるという辞令が出ており、恩地は断ろうとしたものの、2年だけと説得され、空の安全を守るためには、現場で働く社員の待遇と環境を変える必要があるという信念のもと、組合活動に取り組みます。就任した年に、人員不足と作業時間の不足が原因の事故で亡くなった整備士がいたことで、恩地は信念をさらに強くします。

 

しかし、待遇改善を認めない会社側に対し、ストによって首相フライトを止めるという行動に出たことで、経営陣から危険視され、2年の任期を終えて予算室に戻った後、突然カラチ赴任を命じられます。副委員長として一緒に活動していた行天は、自分も懲罰人事として、どこかに飛ばされるだろうと考えましたが、常務の堂本に「君は恩地に利用されているんだよ」と言われ、悩んだ結果、恩地とは袂を分かち、出世街道を歩き始めます。

 

一方の恩地は、組合と手を切ることを頑なに拒み、カラチ(パキスタン)勤務の後はテヘラン(イラン)、ついには、国民航空便が就航していないナイロビ(アフリカ)にまで飛ばされます。この間、約10年です。僻地勤務は2年というのが内規で決まっているにも関わらず、会社は信念を曲げない恩地を危険人物とみなし、決して日本に帰そうとはしませんでした。

 

家族とも離れ離れになり、日本語を話すこともほとんどない、長い孤独の中で、自分でも気づかないうちに精神が病んでいき、崩壊寸前にまで追い詰められます。

 

②墜落事故

同じころ日本では、5ヶ月の間に3度も事故を起こしたことが問題視され、社長が国会に呼ばれることになります。会社と協調関係にある新生労組は出席しませんでしたが、恩地が委員長を努めていた労働組合の現代表である沢泉が出席します。

 

そこで、労働組合に協力的な議員からの質問により、恩地が10年近く僻地勤務をさせられていることが明るみに出て、社長は恩地を日本に帰すと約束し、恩地はようやく、日本に帰国することになります。

 

しかし、日本に戻ってからも苦しい時間は続きます。

東京本社勤務であるものの、国際旅客営業本部という部署に所属し、仕事はほとんどない、いわゆる閑職に追いやられたまま、さらに10年を過ごすことになります。

 

そして、1985年8月12日。

その日は、国民航空創立35周年記念パーティーが開かれており、ケニア大使の接待役として、恩地もパーティーに参加していました。20年前に恩地を僻地に追いやった張本人である堂本は、国民航空の社長となっており、恩地を組合委員長に任命した八馬は、系列会社である国航開発の会長、同期である行天は、取締役広報部長という地位にまで出世しており、恩地はここでも、肩身の狭い思いをします。

 

しかし、パーティーの盛り上がりが最高潮に達したそのとき、一人の社員が会場に飛び込んできます。異変を察した行天が会場の外に連れ出して話を聞くと、123便がレーダーアウトしたと言います。つまりは、墜落したということです。

 

行天は焦り、堂本と八馬に声をかけ、急ぎ会場を後にします。その様子を見ていた恩地は、会場の外で、中央新聞の記者、熊野に声をかけると、一言「ジャンボが消えました」と言われ、驚愕します。

 

520名死亡という、航空機史上最悪の惨事を引き起こしたことで、堂本は社長を辞任させられ、新体制のために首相直轄人事として、かつて先鋭的だった組合を説得して会社の業績を回復させた、関西紡績の会長である国見を国民航空の会長として迎え、社長の海野、副社長の三成という体制で、国民航空は再スタートを切ります。

 

③会長室の部長に抜擢

事故以降、被害者遺族の世話をする遺族係として働き、補償交渉が始まると大阪に赴任し、交渉の対応と、現場の最前線で真摯に遺族と向き合っていた恩地のもとに、国見から電話が入ります。

 

内密にとのことで上京すると、国見は、国民航空を立て直すために力を貸してほしいと言います。自分にはそんな力は……固辞する恩地に、国見は、かつて、空の安全のために立ち上がった委員長なのだから、今の困難に立ち向かうべきではないですかと言われ、会社立て直しのための構想である会長室制の話を聞き、会長室部長として自分を助けてほしいと懇願されます。国見の真摯な態度と誠実さに心を打たれた恩地は、国見と共に国民航空を立て直すことを受け入れます。

 

閑職からの大抜擢でしたが、明らかになっていく国民航空の腐敗と利権の構造と、その利権に群がる魑魅魍魎たちからの攻撃を受け、ついには国見が、全面支援すると言っていた首相からはしごを外され、更迭されたことで、会長室も解散となってしまいます。

 

恩地は、遺族係に戻る予定でしたが、遺族と強い繋がりをもたれるのは、会社にとって不都合と判断した勢力によって、再びナイロビ勤務が命じられます。ナイロビ行きを命じたのは、同期であり、今や常務取締役にまで上り詰めた行天でした。

 

「臭いものには蓋をして、邪魔者は海外へと追いやる。そんなやり方で、本当に会社を変えられると思ってるのか?」

 

行天にそう言い残し、恩地は再びナイロビに赴任します。

しかし、腐敗の影でいいように使われ続けていた一人の男が、命と引換えに東京地検に送った利権の構造を明らかにする証拠により、行天は起訴され、あと一歩で社長というところで、奈落の底に叩き落されることになります。

 

それを聞いた恩地は、行天に手紙を書き、今思えば、君と私は、歩む道こそ違ったが、目指す場所は同じだったかもしれない、会社を変えたかったのだ……

そう綴り、最後に、刑期を全うしたらアフリカに来ないか、今なら君と、素直に向き合える気がする、と伝えて、物語は幕を降ろします。

 

沈まぬ太陽の主な登場人物

沈まぬ太陽には、たくさんの登場人物が存在しますが、その中でも、本記事を進めるために重要な人物に絞って解説します。

 

恩地 元

沈まぬ太陽の主人公です。

日本航空の元社員である小倉寛太郎氏がモデルとされています。

 

恩地は、元々はエリートコースを歩んでいましたが、組合の委員長に抜擢され、本気で組合活動をしたために経営陣から危険視され、約10年の間僻地をたらい回しにされた後、日本に戻されます。

 

しかし帰国後も閑職に追いやられ、事故からの立て直しのために、新たに国民航空の会長となった国見と共に、会社に巣食う利権集団と戦いますが、志半ばで破れ、再びアフリカに追いやられるという、報われない人生を歩みます。しかし、自らの信念を貫き、不正と戦う姿は、主人公らしいと言えます。

 

行天 四郎

恩地の同期で、かつては恩地とともに組合の副委員長として会社と戦いましたが、当時の常務だった堂本の言葉をキッカケに袂を分かち、出世街道を邁進、最後には常務取締役にまで上り詰めます。

 

組織の腐敗に完全に染まることはないものの、半官半民の国民航空という組織を冷静に見て、トップに立って会社を変えるという目的のために必要な行動を取り、目的のためには手段を選びません。現場で働く社員のため、遺族のためという視点で行動し、信念だけでなくやり方も変えない恩地とは真逆のリアリストです。

 

行天にはモデルとなる人物はいないとされ、当時の黒い噂を体現する役目として、また、主人公である恩地と対比させることで、物語を盛り上げる役目を担った人物です。

 

八馬 忠次

恩地の前任の組合委員長で、恩地を次の委員長に抜擢した人物です。最初の僻地勤務を言い渡したのも八馬で、その後も堂本、行天とともに、恩地と組合メンバーに対する嫌がらせを続け、最後まで恩地と敵対します。

モデルは、日本航空で常務取締役を努めた吉高諄氏とされています。

 

堂本 信介

123便墜落事故時の国民航空の社長です。

元々は筋金入りの左翼活動家でしたが、昭和初期に転向したという過去をもちます。

 

物語初期から策謀を巡らせ、恩地と組合にアカのレッテルを貼って潰しにかかります。その後社長にまで上り詰め、天下りの官僚に対しても席を譲らず、絶対的な権力を手にしていましたが、123便墜落事故により辞任を余儀なくされ、国見の一言で会社に残る道も閉ざされ、最後は同志であった八馬、行天からも見限られ、国民航空を去ります。

 

物語前半で、恩地の主敵となる人物として描かれていますが、モデルとされる日本航空初の生え抜きの社長だった高木養根氏は、退職後も個人的に遺族への慰問行脚を続け、毎年夏に、御巣鷹山へ慰問のための登山を続けていたため、作中で描かれる人物像とは異なるようです。

 

国見 正之

関西紡績の会長で、123便墜落事故後、国民航空立て直しのために、かつて先鋭的だった関西紡績の組合をまとめあげ、会社を立て直した手腕、経営者としての頭脳、人柄を買われて、首相の三顧の礼をもって迎えられ、国民航空の会長の座に就きます。

 

会長就任後は、会長室という、経営立て直しのための部署を新設し、部長として恩地を抜擢します。国民航空の腐敗を正すために奔走しますが、本当の意味で会社を立て直そうとする国見のやり方は、利権集団化した社員たちに煙たがられ、行天のマスコミ操作によって印象も悪化、全面支援すると言っていた首相からもはしごを外され、志半ばで更迭され、国民航空を去ることになります。

 

モデルは123便機墜落事故後に日本航空の会長に就任した、元カネボウ会長の伊藤淳二氏とされています。

 

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物語から何を学ぶかという視点

沈まぬ太陽は、現実の事故を題材にした作品だけに、観ているとこれは実話なのではないかと思ってしまいますが、実際には事実を基に構成された物語です。

 

実話かフィクションかにこだわるよりも、事故を起こさないための健全な経営とは何か、働く人たちの環境はどうあるべきなのか、といったことを考えてみると、また違った視点で物語を観られるのではないでしょうか。ぜひ、新たな視点で物語を楽しんでみてください。

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