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ドライブマイカーが「気持ち悪い」と言われる3つの理由を解説!

ドライブマイカーは気持ち悪い

カンヌ国際映画祭やアカデミー賞でノミネートされ、一時は世間の話題になった「ドライブ・マイ・カー」。国際的にも認められた映画であるはずなのに、レビューや口コミでは「気持ち悪い」といったネガティブな投稿が出てくるのは何故なのでしょうか。今回はドライブ・マイ・カーが何故気持ち悪いと言われているのか、その詳細について調査しました。

以下ネタバレ内容も少し含みますのでご注意ください。

 

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ドライブ・マイ・カーは何故気持ち悪いと言われるのか?

世界的に高評価を得たこの映画が何故気持ち悪いと酷評されるのでしょうか?そこには物語の背景や描写が大きく影響していることが考えられます。

 

性的描写

ドライブ・マイ・カーを観たところ、他の日本映画よりも性的シーンがやや多いように感じました。また官能的なシーンだけなら気持ち悪がられることもそう無かったと思うのですが、妻・音の物語の中で出てくる「生理用のタンポン」や「オナニー」といった”性”をストレートに想像させる言葉が多く、それらを繰り返し発していることから「この夫婦は気持ち悪い」というコメントに繋がったのではないかと推測されます。英語の日本語字幕で”見る言葉”と、日本語を音声で耳にする”聞く言葉”とでは受けた時の言葉の衝撃が違うのだと筆者は感じました。

 

家福夫婦の発言

悠介と音はそれなりの年齢を重ねていますが、それでもセックスシーンは多いです。その愛の行為は悠介だけで終わらず、音は他の男性ともセックスをしていることが発覚します。その時に何者かに憑依されたように突然物語を語り続ける音ですが、物語を語っている最中でまたセックスが始まるため、見方によっては、このシーンを気持ち悪いと感じてしまうのではないかと思います。

また、悠介は不倫していた音に対して「自分が耳を傾けることができなかった」と、まるで自分に非があったような発言をしていた為、これらに対し生理的な気持ち悪さとは違う、気分の悪い意味の”気持ち悪い”が出てしまったのではないかと考えられます。

 

悲しみの物語

ドライブ・マイ・カーは突然妻を亡くした男性が主人公です。ヒロインの専属ドライバーも暗い過去を持っており、物語は陽気には進むわけではなく、哀愁漂う空気を終始醸し出しています。また、タイトルの通りドライブシーンが多く、広島で行われる舞台が多言語演劇の関係で手話も交えていることから静かにストーリーが進んでいく印象もありました。そんな世界観が人によっては不気味に感じ、気持ち悪い(=気味が悪い)という上記2つとはまた違う意味で印象を与えてしまったことも要因の1つではないかと考えられます。

 

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ドライブ・マイ・カーについて

ドライブ・マイ・カーは2021年8月に公開された日本映画です。もともと村上春樹さんの短編小説であった「ドライブ・マイ・カー」が原作となっており、同じ名前で映画化されました。人の死や愛、心について考えさせられるヒューマン要素満載の作品です。

 

あらすじ

舞台演出家でありながら自身も俳優として舞台に立つ家福悠介は、妻の音と共に2人で生活をしていました。そんな2人の間には日課があります。夫婦でセックスをしている最中に音のもとへ突然舞い降りてくる物語を悠介が聞き、次の日に自分が言った物語を忘れてしまった音に、悠介が朗読するというものでした。この日課が始まったきっかけは、2人の間には子供が1人居ましたが、幼くして肺炎で亡くなり、虚無だった音のもとにある日突然セックスの時だけ物語が舞い降りてくるようになったことから、いつしか2人の日課になっていました。

 

子供を失った悲しみを乗り越えて2人は穏やかな毎日を過ごしていました。そんなある日、悠介はウラジオストクへ出張へ行く予定でしたが旅程がキャンセルになり、家へ帰ります。そこで悠介が自宅で見たものは、妻・音の不倫現場でした。悠介は何も言わずそのまま静かに家を出て、ウラジオストクに無事に着いたと音に嘘の連絡をしてしまいます。音との今の関係を壊したくない、悠介に今できる精一杯の行動だったのでしょう。その後も悠介が不倫のことを音に話すことはありませんでした。

 

その後、何もないまま日々は過ぎていきましたが、音に「今夜、話したことがある」と言われ、悠介は悪い話ではないかと思いなかなか家へ帰れずに居ました。いつもより遅く家へ帰ると、音はくも膜下出血で亡くなっていたのでした。

 

それから二年後、悠介は舞台演出の依頼を受けて広島へ向かいます。そこでドライバーの渡利みさきという、頬に傷を持つ若い女性と出会いました。広島滞在中、悠介の代わりに運転をしてくれる専属ドライバーとしてみさきが選ばれたようです。寡黙で、何も話さないみさきの運転は誰よりも丁寧で、次第に悠介はみさきを認めるようになり、車内でそれぞれの話をしていくようになります。

 

突然失ってしまった最愛の妻との別れによる喪失感を持ち続けたまま生きていく悠介と、過去に母親との間で芽生えた確執を抱えたまま生きているみさき。2人がお互いの”秘密”を口に出し、その事実と真正面から向き合うことで生まれる感情がこの物語の要であると言えるでしょう。

 

また、音がずっと紡いできた”セックス時に舞い降りてくる物語”についても、悠介は結末を知らないまま音は亡くなってしまいましたが、後に悠介が担当する多言語演劇の舞台で登壇する高槻耕史によりその話の続きを知っていくこととなります。この物語がどんな話で、何を伝えたいのかも、人によって解釈が変わっていく部分だと思います。

 

主要キャスト

家福悠介(西島秀俊)

舞台俳優と舞台演出家を兼務。赤色の「サーブ900ターボ」という車を長年愛用しており、車内で妻の声が入ったカセットテープを流し、台詞を覚えています。妻の不倫や、話し合いから目を逸らしてしまった暗い過去を持っています。

 

家福音(霧島れいか)

悠介の妻で。元女優で脚本家。悠介を心で愛していながらも、他の男性と身体の関係を重ねています。また、セックス時に物語が舞い降りてきて、それを言葉にはするけれど、次の日には内容を忘れてしまいます。くも膜下出血により、自宅にて独りで最期を迎えます。

 

渡利みさき(三浦透子)

悠介が舞台演出製作のため広島に滞在する間の専属ドライバー。水商売をしていた母親の送迎を頼まれ中学生の頃から運転を始めます。自然災害で母を亡くしてからはあてもなく西を目指し、車が壊れた広島に降り立ち、生計を立てることとなりました。

 

高槻耕史(岡田将生)

人気が出始めた若手俳優。広島国際演劇祭で発表する多言語演劇「ワーニャ伯父さん」のワーニャ役に抜擢されます。気持ちをストレートにぶつけてくる素直さもありますが、彼もまた心のどこかで誰にも見えない闇を抱えています。

音と親密な関係を持っていないとわからないはずの例の物語の続きを悠介に披露しました。

 

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まとめ

ドライブ・マイ・カーを観て筆者が感じたことは、結末も含めて、観ている人が受け取った感性でハッピーエンドにも、バッドエンドにも終わることができる深い作品だという事です。レビューの中で様々な意味を含んだ「気持ち悪い」と言う感想も勿論ありましたが、とても考えさせられる映画だったという高評価なコメントも勿論ありました。

皆さんは、この作品を観て何を訴えていると感じるでしょうか?この結末がどんな意味を表していると思いますか?

 

人間の考え方が無数あるように、この作品の思考も数えきれないほどあるのだと思いながら是非、ドライブ・マイ・カーをご覧ください。

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