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『CUBE 一度入ったら、最後』がひどいと言われる3つの理由!

1997年に公開されたSFホラーの傑作、CUBE。低予算ながら、緊張感あふれる世界観と展開で大ヒットし、カルト的な人気を誇ります。そんなCUBEのリメイクとして2021年公開されたのが「CUBE 一度入ったら最後」という日本映画ですが、「ひどい」という声が多数出てくる結果となっています。傑作のリメイクがなぜそこまで叩かれるのか? 本記事では、CUBEリメイク版がひどい理由について解説します。

 

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酷評される三つの理由

ここからは、リメイク版がなぜ酷評されているのか、三つの理由を解説します。

「CUBE 一度入ったら最後」はリメイク作品なので、オリジナル版との違いも交えながら解説していきます。

 

また、比較を分かりやすくするために、以降は1997年公開のCUBEを「オリジナル版」、2021年公開のCUBEを「リメイク版」と記載します。

 

①脚本の問題

酷評される最初の理由は、脚本です。

登場人物の一人が見知らぬ場所で目覚め、同じように閉じ込められた人と出会い、協力と対立を繰り返しながら出口を探すという基本的な設定と、主要キャラが六人というところは、オリジナル版を同じです。

 

しかし、表面上の流れはともかく、ストーリーの質は大きく異なります。

オリジナル版は、この人という主人公はおらず、閉じ込められた六人全員が主人公であると同時に、誰も主人公ではないですが、リメイク版は後藤が主人公です。

 

そのため、後藤のトラウマを回想するシーンが所々に差し込まれ、オリジナル版にはなかったテーマが描かれていますが、残念ながら、そのどれもが薄いです。

 

◉想定されるテーマ

テーマとして見えるのは、キャラそれぞれが持つ、乗り越えなければならない過去と、大人と若者との間にある価値観の乖離です。

 

・手段を選ばずに今の地位まで上りつめたが、罪悪感を消しきれない安東。

・被害妄想が強く、安東のような大人に潰されてきた越智。

・イジメに遭ったとき誰にも助けてもらえず、体面だけを取り繕う大人はズルいと考える宇野。

・父親が弟にきつく当たるのを止められず、最後には自分の言葉が弟を追い込んでしまったと考え、心に傷を負っている後藤。

 

以上のように、一応それぞれに苦しい過去があります。

井手は妻の体調が思わしくないようで、すぐに脱出したいという別の理由を抱えており、甲斐は前述したように監視役のような存在なので、そもそも脱出する理由も過去もありません。

 

物語の所々で描写される、年配者と若者の対立は、社会の縮図の一部と見ることもできると思いますし、後藤、越智、宇野、後藤がもつ過去と絡めれば、濃い人間模様を描くこともできるテーマだと思います。

 

しかし、そういったテーマが見えるにも関わらず、キャラ同士の対立が薄く、どこかから借りてきたようなセリフが多く、キャラの内側から出てくる心の叫びが聞こえません。また、キャラの内面が映し出されるのは後藤だけで、他のキャラの背景はほぼ見えないため、誰が言っても同じと感じるような、軽い言葉になってしまっています。

 

◉オリジナル版はどう描かれているのか

オリジナル版も、キャラの背景はほとんど明らかにされませんが、行動や言葉、会話の中で生まれる対立によって、このキャラはこういう人物ですと説明されなくても、背景が「見える」ようになっています。

 

お互いを知らず、それぞれ違う背景、考え方をもつ個性的なキャラたちが、封鎖された空間と、一つ間違えたら死ぬという極限状態の中で見せる姿が緊張感を作り出し、観ている側も目が話せずに物語に引き込まれます。

 

対してリメイク版は、そういった緊張感はほとんどなく、キャラたちの対立も薄いため、まったく引き込まれません。また、所々に挿入される後藤の回想は「外の世界」を見せているため、トラップだらけの封鎖空間という、もっとも大事な世界観を壊す結果となっており、挿入という演出も、ストーリーのテンポを悪くしています。

 

◉謎解きが生み出す緊張感もない

CUBEの謎解きに関しても、オリジナル版は素数に始まり、デカルト座標、因数の数、順列の組み合わせで部屋が移動しているというふうに、少しずつ真相に近づき、観ている方も、今度こそ正解なのか? という期待と緊張感を感じることができます。そういった流れが緊張感を持続させているため、出口に進んでいたはずが、スタート時点に戻ってしまったことで絶望するシーンも、ショッキングなものに仕上がっています。

 

対してリメイク版は、素数でトラップの有無を判断するところは同じですが、それ以降が中途半端です。

 

これは、物語の軸を、テーマと後藤のトラウマ克服に置いているためと思われますが、そもそもそういったテーマを描きたいのであれば、CUBEのリメイクという世界観とは別のところでやったほうがうまくいったのではないかと感じてしまう仕上がりになっています。

 

「CUBE 一度入ったら最後」はリメイクであり、デジタルリマスターではないので、ただの焼き直しのような作品にすればいいというものではなかったと思いますが、俳優さんが豪華であるだけに、これだけの俳優さんを揃えてこれなのかと、対象的に脚本の問題が浮き彫りになってしまったとも言えると思います。

 

②CUBEの世界観がない

オリジナル版のCUBEは、最初から最後まで緊張感があります。

部屋に色の違いはありますが、どこまでいっても薄暗い同じ形の部屋、どこにあるか分からないトラップ、進めば脱出できるのかも分からない極限状態の中で、キャラたちは精神を削られ、徐々に剥き出しの本性が出てきて、対立も深まります。

 

BGMもなく、CUBEの謎を、キャラたちの発見を通して観客に見せ、答えが知りたいという感情を引っ張りつつ、誰が生き残るのか、もしかして全員が死んでしまうのかといった緊張感に包まれたストーリーです。

 

対してリメイク版には、その緊張感が最初から最後までありません。

シチュエーションは同じ、目覚めたら謎の箱の中にいて、知り合いもおらず、部屋によってはトラップがあります。しかし、キャラ同士の対立も薄く、トラップにもキレがないため、ストーリーに入りづらくなっています。

 

オリジナル版は、刑務所から7つの刑務所から脱獄したという男が先陣を切って進んでいきます。しかし、単純に考えればメンバーの中で一番脱出できる可能性が高い男が、硫酸で顔が焼かれるという、目を背けたくなるような死に様で早々にストーリーから退場するため、観客はトラップの恐怖と、ここは脱獄の名人とは別の角度で考えなければ脱出できない場所なのだと理解できます。

 

その出来事が、キャラと観客、双方に緊張感を生み、キャラたちは不安と恐怖で気持ちに余裕がなくなっていった結果対立し、観客はどうなるのか分からない状況に、目が離せなくなっていきます。

 

リメイク版は、最初こそ名前のない男がトラップにかかって命を落としますが、オリジナルに比べるとインパクトが弱く、その後の展開も、緊張感のないセリフとやり取りが続き、井手が後藤と宇野を助けて命を落とすところも、トラップにキレがないこともありますが、感情を揺さぶられるインパクトがありません。

 

越智が後藤の命を奪おうとするシーンも、俳優さんの演技は素晴らしいのですが、越智の心の叫びは個人の強い思いから出た言葉としては薄く、まったく響いてきません。

 

そのため、もしオジリナル版と比較することなくリメイク版を観たとしても、感情を揺さぶられるものがなく、オリジナル版と比較するとさらに酷く見えてしまうという結果になっています。

 

③登場人物の背景が薄く、顔が見えない

①と②でも軽く触れましたが、登場人物の背景が薄く、その結果としてセリフも薄くなり、物語を面白くするために必須であるキャラの対立も、上辺だけのものに見えてしまっています。

 

これは、設定が薄いため、キャラの顔が見えないということができます。ゲームで言えば、いろんなところで使われるモブキャラと同じです。

 

主人公の後藤だけは、回想が入るので背景は見えますが、それも重みがなく、他のキャラに至ってはほとんど背景が見えず、薄っすらと見えるそれも、映画のメインキャラとして映し出される存在としては物足りないものです。

 

オリジナル版でも、キャラの背景がはっきりと描かれているわけではなく、後藤のような主人公がいるわけでもなく、全員の背景は最後まで詳細には描かれません。しかし、彼らのセリフや言動を見ていると、どういう人間性をもっているのかが想像できます。

 

この違いは、裏にある設定の厚さと、見せ方にあります。

①でも軽く触れたように、オリジナル版はキャラのセリフ、シチュエーションに対する反応、他者との接し方で、背景や思想が見えます。このキャラはこういう人ですよという説明がなくても、どんなキャラなのか「見える」ようになっています。

 

そして、謎のCUBEという存在がストーリーの中心になっているため、それ以上キャラの背景は見えなくてもいいのです。

 

リメイク版は、舞台がCUBEという部分は同じでも、重きを置いているのはテーマの部分だと思われます。しかし、もしそこに重きを置くのであれば、キャラの背景をもう少し個性的にして、観客にそれを「見せる」ことで、ストーリーの中に引き込むことはできたと思いますが、そのためにはキャラの背景を濃くするのは必須です。

 

しかし背景が薄く、舞台にも緊張感もないため、作品としての顔がない映画になってしまっています。

 

以上が、リメイク版が酷評される主な理由と考えられます。

 

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「CUBE 一度入ったら最後」のあらすじ

まずは「CUBE 一度入ったら最後」の簡単なあらすじをお話します。

 

物語は、四角い奇妙な密室の中で、男がトラップにかかって命を落とすところから始まります。その後、主人公である後藤裕一が別の部屋で目を覚ましますが、そこは冒頭、男がトラップにかかった部屋と似ており、周囲には誰もおらず、自分がなぜ、いつこの場所に来たのかも分かりません。

 

どうしていいか分からない後藤でしたが、同じように箱の中に閉じ込められたらしい、越智、宇野、甲斐、井手、安藤と六人で、密室の箱からの脱出を試みます。

 

箱は複数あり、出口に向かうにはどこを進めばいいのかも分からず、トラップが仕掛けられている部屋もあります。やがて、トラップがある部屋とない部屋を見極められるようになりますが、さらに進んでいくと、それまでの見分け方が通じない部屋が出てきて、次の瞬間には死ぬという極限状態の中、六人は対立しながら出口を探します。

 

しかし、途中で井手は死んでしまい、安藤、越智も命を落とし、最後は宇野一人だけが脱出し、死んだはずの後藤は謎の復活を遂げます。

 

宇野が脱出する際、甲斐は「バイバイ」と言って宇野を見送り、CUBEの中に戻るという謎の行動を取りますが、彼女の正体は人間ではなくアンドロイドで、舞台であるCUBEを作った側の監視ロボットのようなものなのだろうという想像を観客に促し、彼女がCUBE内に戻って別の集団の中に紛れ込む、というところで物語は終わります。

 

登場人物

CUBEに閉じ込められ、一緒に脱出を試みるのは、以下の六人です。

 

後藤 裕一

本作の主人公で、エンジニアです。弟が目の前で自殺してしまったという過去があり、それが自分のせいだという自責の念と罪悪感から、トラウマになっています。

 

井手 寛

整備士で、少々口は悪いものの責任感が強い性格で、トラップから後藤と宇野を助けるも、自身の脱出は間に合わず、を落とします。

 

越智 真司

コンビニ勤務のフリーターです。メンタルが弱めで、大人は信用できない、うまくいかないのは自分ではなく社会が悪いからという思い込みをもっています。

 

宇野 千陽

中学生の男の子です。イジメを受けていたことがあるらしく、他人を信用できずに心を閉ざしています。

 

安東 和正

広告代理店の役員です。

最近の若い奴らは的な考え方をもった人物で、若者を信用しません。

 

甲斐 麻子

常に冷静で、人間味が感じられませんが、その正体はCUBEを作った側のアンドロイドです。

 

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リメイクと言わないでほしいと思われてしまう仕上がり

「CUBE 一度入ったら最後」は、傑作CUBEのリメイクではなく、同じ俳優さんと同じテーマで別の描き方をしていたら、いい意味で印象に残る作品になったかもしれません。しかし、CUBEのリメイクという形で製作された作品としては「ひどい」と評価されてもフォローが難しい仕上がりになっています。

 

大人の事情もあるのかもしれませんが、脚本を大事にしない映画の末路ということもできる作品と言えると思います。

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