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実際にあった事件がもとになった日本の映画3選!【閲覧注意】

ホラーやミステリーには、実際の事件をもとにした映画があります。ネットフリックスでは、アメリカの凶悪犯のドキュメンタリーなども多数ありますが、今回はそんな中でも、日本で実際にあった事件をもとにした映画と、もとになった事件について解説します。

事件の部分については実際にあったことなので、フィクションにはない生々しさがあります、ご注意ください。

 

実際にあった事件がもとになった日本の映画3選!

それでは、映画と、映画のもとになった事件をそれぞれ見ていきます。

取り上げるのは、

 

  • サニー/32
  • 復讐するは我にあり
  • 葛城事件

 

以上の三つです。

 

実際にあった事件がもとになった日本の映画「サニー/32」

まずは映画、「サニー/32」のあらすじです。

 

主人公は、中学教師の藤井赤理という女性で、舞台は冬の新潟です。

ごく普通の教師である赤理は、ストーカーに悩まされており、同僚の田辺に相談しています。受け持つクラスではイジメがあり、イジメのターゲットである向井純子を助けようと、話を聞かせてほしいと言いますが、先生にだけは話したくないと拒絶されるという、暗い日常を送っています。

 

24歳の誕生日、ストーカーは同僚の田辺であったことが判明し、田辺は警察に逮捕されますが、ホッとしたのもつかの間、赤理は二人組の男に拉致され、雪が激しく降る山奥の廃屋に監禁されてしまいます。

 

二人の男は、柏原と小田という名前で、なぜかカメラを回し、反抗的な態度を取ろうものなら暴行を加えるという異常さで、赤理はドレスに着替えさせられます。そしてなぜか、二人は赤理を「サニー」と呼びます。赤理はなんのことだか分かりませんでしたが、「サニー」というのは、14年前に同級生をカッターナイフで切りつけて殺害し、ネットに拡散された決めポースがもとになって、サニーと呼ばれるようになった、当時小学生の女児のことでした。

 

そういった事情から、一部の人間から「犯罪史上、もっともかわいい殺人犯」と呼ばれ、信者が生まれており、柏原と小田も、その信者でした。

 

赤理は勘違いだと訴えますが、思い込んでいる二人は受け入れず、赤理の写真や動画をネットにアップし、赤理は「サニー」を演じさせられるという異常事態になります。

 

たまらくなった赤理は隙をついて逃げ出しますが、すぐに捕まってしまい、集まってきた他の信者に、ファンミーティングという名の一対一の対話時間を設定され、従いますが、そこに14年前の事件の被害者(サニーに殺害された同級生)の兄が現れ、襲いかかってきます。

一緒にいた信者が庇って命を落とし、赤理たちは逃げて、海の家にたどり着きます。

 

その後、サニーのことを自身の動画チャンネルで配信している百瀬という男が現れ、独占インタビューのために小田や柏原をスタンガンで気絶させますが、どういうわけか赤理の中で何かが変わり、スタンガンを奪って百瀬を気絶させ、自分を拉致した小田や柏原を拷問して過去のトラウマを自白させるという行動に出ます。

 

さらには自身のチャンネルを作って相談コーナーを始め、視聴者が増えていきます。するとその中に、イジメにあっている教え子の向井がいることが分かり、彼女が14年前のサニー事件があったのと同じ、2月28日に、何かをしようとしていることを知ります。

 

やがてネット上に本物のサニーが現れ、2月28日に、赤理はサニーと接触、14年前の事件の真相を知ります。同時に、海の家は警察に取り囲まれますが、百瀬や小田の助けを借りて脱出、向井がいるカラオケボックスに行くと、向井は同級生をカッターナイフで殺そうとしていましたができず、駆けつけた赤理を前にすると号泣し、赤理は向井を抱きしめ、物語は幕を閉じます。

 

霧がかった部分が残る子供による殺人事件

サニー/32のもとになった事件……着想を得ているといったほうが正しいかもしれませんが……は、佐世保小6女児同級生殺害事件です。

 

平成16年(2004年)、小学6年生の女生徒が同級生をカッターナイフで殺害するという衝撃的なもので、映画で崇められた少女のもとになったのが加害者の少女ということになります。

 

惨劇の学習ルーム

事件があった日、加害少女は被害者を「態度が生意気」という理由で、学習ルームという教室から離れた部屋に呼び出し、カーテンを閉めて椅子に座らせると、手で目を隠し背後から切りつけ、抵抗する被害者をなおもカッターナイフで切りつけ、被害者が倒れると、約15分の間、返り血をハンカチで拭ったり、被害者の顔を見たり体を触ったりするなど、状態を確かめたとされます。

被害者の切り傷は、深さ、長さともに約10センチにもなり、骨が見えるほど深い傷もあったそうです。

 

事件が起こったのは給食の時間であったため、準備をしている中で、担任は二人が教室にいないことに気づきますが、ほぼ同時に、廊下から走る音が聞こえ、教室の外を見ると、加害少女が返り血で赤く染まった服で佇んでいました。

 

手にはカッターナイフとハンカチをもっており、当初担任は、加害少女が怪我をしたのではないかと思いましたが、怪我はなく、話を聞こうとすると、加害少女は「私じゃない、私の血じゃない」などと言って要領を得ないまま、学習ルームを指差しました。担任が行ってみると、学習ルームの入り口付近には折れたカッターナイフの刃が落ちており、部屋の壁には血が飛び散っていました。床には被害者が倒れており、このときはまだ、被害者は生きていました。

 

突発的ではない殺意

やがて救急車が到着し、被害者がなぜ怪我をしているのか、知っている人はいませんかという確認をすると、教師が加害少女を連れてきて、なぜ被害者が怪我をしているのか質問すると、「私がカッターで切った」と答えました。

 

警察の事情聴取に対し、加害少女は「土曜日に殺そうと準備して、月曜に殺そうとしたけど、バレると思って今日にした。死ぬまで待って、バレないように教室に戻った。千枚通しで刺すか、首を絞めるか迷ったけど、もっと確実なカッターナイフにした」と話したといいます。

 

その後、長崎家庭裁判所によって精神鑑定が行われますが、何かしらの障害というほどのものはなく、最終的には児童自立支援施設へ送致となります。

 

加害少女はどんな人物だったのか

ここからは、加害少女がどんな人物だったのか見ていきます。

 

①生い立ち

家庭環境に問題があったという話はなく、父親に虐待されていたという件についても、それを示す証拠はないようです。

 

性格は真面目で、できないことも投げ出さず、練習してできるようになろうという姿勢があった子で、好印象ですが、一方で、友だちから悪ふざけでちょっかいを出されたりすると、追いかけて暴力を振るったりすることもあり、家族によると、一人で過ごすことを好む子だったようです。

友だちと遊ぶことも多かったようですが、物思いに耽ることも多かったようで、性格的には内向的なタイプだったのかもしれません。

 

学校ではコンピューター研究部に所属し、Webサイトを作って、サイト上で交換日記をするといったことを楽しむ一方、地域のバスケットボールチームにも所属しており、サイト上でも、バスケットのチームメイトとしても、被害者と交流があり、仲は良かったようです。

しかし、小学5年生のときに、本人としては納得のいかない形でバスケを辞め、その頃から、残ったコミュニティであるネットが唯一の自分の居場所であると考えるようになったとされます。

 

5年生も終わりに近づくと、精神的に不安定になり、落ち着きがなくなり、ちょっとしたことで激しく怒り、カッターナイフを出す事もあったようです。あるとき、ちょっかいを出してきた男子生徒を、笑顔のまま追いかけ回して殴る蹴るの暴行を加えたところを同級生に止められるという一幕があったようですが、担任はあまり問題だとは考えなかったようです。また、他の生徒も巻き込んでイジメをしたりと、いわゆる問題行動が増え、6年生になるとさらに過激になっていきますが、担任はそういう部分は見ていなかったのか、積極的で良い生徒、という評価だったようです。

 

その後、Webサイト上で被害者と言い争い、対立が激しくなり、自身の主張に対して被害者が反論したことから閾値を越え、殺人を思い描いたと考えられます。

 

②精神に問題があったのか

長崎家庭裁判所が行った精神鑑定でも、これといった問題はなく、アスペルガー症候群(社会性やコミュニケーション、想像力、共感性など、こだわりの強さや過敏な感覚などを特徴とするもの。自閉症スペクトラム障害と似ているが同じではない)という話もありますが、これも当てはまらないという結論になっています。

 

とはいえ、被害者を殺害したときの冷静さ、自分が殺してしまった被害者を観察したり、警察の事情聴取に対しても、計画性のある殺意であることを証言しているように、冷静さを通り越して冷酷さを感じるのは確かです。

 

一般的には、精神に問題があると考えた場合、明らかに言動がおかしい、言葉が支離滅裂、自分でも何をやっているのか分からない、過度な妄想に取りつかれているといったものを想像しますが、何が悪いの? といったテンションで冷静に殺人を計画し、実行までしてしまうのも、普通とは言えません。頭の中で殺意を実行することは、多かれ少なかれ誰でもあると思いますが、現実にするには様々な問題があるため、実行されずに、やがて思考からも消えていくことがほとんどです(何かしらの理由で強い恨みをもっているなどは別)。

 

精神鑑定では見えない部分の異常性があったとも考えられますが、脳を調べてみるなどしない限り、そのあたりはハッキリしないため、全容解明は難しいかもしれません。

 

③加害少女の心理

バスケを辞めざるを得なくなったことは、加害少女が過激な行動をするようになったトリガーだったと考えられます。親に辞めさせられたということであれば、子供にはどうすることもできず、怒りの向け先がありません。怒りは内部に蓄積され、はけ口を向けやすい方向、つまり、同級生や、その中でも弱い側にいる方へ向かったと考えることもできます。

 

しかし、その怒りが一時的ではなく、6年生になっても継続し、殺人にまで至ってしまったのは、上記の理由だけでは説明がつかないと思われます。

事件に至るまでの被害者との対立にしても、特別酷いといったほどではなく、子供ならありそうな範囲のものに含まれると思います。

 

ただやはり、殺人を計画して実行するまでの冷静さ、そしていざやるとなっても最後までやり通してしまう一貫性には、恐ろしいものを感じます。

 

ある思考実験で、殺人を計画した女性が頭の中でそれを思い浮かべると、想像を進めるたびに殺意が弱まり、殺人は実行されないというものがありますが、これは、実際に殺人を行うところを想像することで、被害者側の苦しみや痛み、恐怖や不安の感情が、自分の感情と同化するためで、殺意を抱いても実際にはやらない理由の一つといえます。

 

そのプロセスをクリアし、実行に伴う影響もスルーして、突発的ではなく計画的に犯行に及ぶのは、やはりどこか、見えない部分で何かあると考えてしまうほど、ゾッとするものです。解明するには、心理分析だけでは見えない、脳というハードの部分にも注目するべきなのかもしれません。

 

実際にあった事件がもとになった日本の映画「復讐するは我にあり」

次に取り上げるのは、「復讐するは我にあり」という映画です。

こちらも、まず映画のあらすじを見ていきます。

 

昭和39年、あるカトリック信者の男が逮捕されます。

延べ12万人にも及ぶ捜査員を動員がされ、78日間逃亡を続けた、榎津巌(えのきづ いわお)という男で、「俺は千に一つしか本当のことを言わない」と得意げに語る詐欺師であり、5人を殺害した連続殺人犯です。

 

昭和38年10月18日、榎津は福岡で顔見知りだった専売公社の集金係の男性二人を殺害し、血痕の付着した金で携帯ラジオを買ったことで、容疑者として浮上し、指名手配されます。

 

警察は榎津について調べるため、交友関係、実家などを捜査していきます。

実家は温泉宿を営んでいて、父親、母親、妻、娘二人が一緒に住んでいました。父親は敬虔なクリスチャンでしたが、榎津は偽善的であると考えて嫌っており、反抗心からか、犯罪を繰り返します。さらには、妻が養父を敬愛していたことから、二人の関係を疑うようになり、刑務所から出てくると家を出て他の女のところを転々とした後、男二人を殺害する事件を起こします。

 

指名手配された後も、榎津は詐欺をしながら各地を転々として、浜松の旅館に大学教授を名乗って宿泊、女将のハルと深い仲になりますが、警察が指名手配のポスターをもって聞き込みに来たことで危機感を覚え、宿を出ます。

 

宿を出ても、詐欺を働きながら逃げ続け、弁護士を名乗って保釈金を横領、知り合った東京の弁護士を殺害しますが、先のない状況にどんどん追いつめられていきます。

 

一人では限界を感じ、榎津はハルに連絡して東京に越させますが、やがて正体がバレます。ハルの母親は反対しますが、ハルは旦那からの屈辱的な扱いに耐え、殺人の前科がある母親のためと我慢してきた反動からか、榎津に惚れ込み、二人で逃亡する覚悟まで決めます。

 

しかし、東京の弁護士の遺体が発見され、さらに追いつめられた榎津はハルと母親を殺害し、家財道具を質屋にいれて資金を作ろうとしますが、質屋と待ち合わせしたところを、以前ハルの宿で榎津の相手をした売春婦に目撃され、警察に通報されたことで逮捕されて、死刑が確定します。

 

その後、面会に来た父親と激しく言い争い、自分が殺したかったのはおまえだと、父親に言葉を叩きつけます。

死刑が執行されると、父親と妻は、山頂から榎津の骨を撒き、物語は幕を閉じます。

 

10歳の少女が解決に導いた西口彰事件

「復讐するは我にあり」の基になった事件は、「西口彰事件」という、昭和38年(1963年)~昭和39年(1964年)に起こった連続殺人事件で、映画は実際の事件とほぼ同じという部分もありますが、結末は大きく異なります。

 

日本においては「戦後最悪の連続殺人」とされ、犯人の西口彰は、地裁の判決文に「悪魔の申し子」と書かれた男ですが、そんな悪魔を光の下に引きずり出したのは、当時10歳の少女でした。

 

詐欺の常習犯

大正14年、カトリック信徒である両親のもとに生まれた西口は、裕福な家で何不自由ない生活を送りました。しかし、生活は豊かで自由でも、精神的には不自由だったようです。というのも、父親は西口を修道士か神父にしたかったようで、西口も幼い頃に洗礼を受けており、中学からミッションスクールに入りますが、戒律が厳しい学校に耐えきれず、三年生のときに退学します。

 

16歳になると、初の犯罪に手を染めます。

このときの犯罪は詐欺で、あっさりと逮捕、収監され、昭和20年に出所します。翌年の昭和21年に結婚し、さらに翌年に息子が生まれますが、息子が1歳になったときに再び詐欺で逮捕され、懲役2年6ヶ月となります。出所後は米兵相手のBARを初めて儲けたようですが、今度は篭脱け詐欺で逮捕されます。このとき、娘も生まれていました。

 

結婚しても子供ができても、まったく意に介すことなく詐欺を繰り返す、救いようのない男ですが、殺人という一線は越えていませんでした。しかしある思考に至った結果、その一線を越えます。

 

さらに一線を越える

出所したあと、妻と子供たちのところへは戻らず、別の女性と同棲を始め、トラックの運転手になります。ついに真面目に働くのかと思いきや、ここでさらに一線を越えます。

 

当時の日本たばこ産業が、タバコの配送と集金をしていることを知って、現金輸送車を襲うことを思いつき、輸送車に乗っていた二人の男性を殺害、現金27万円を奪って逃げます。しかし目撃者もおり、前科だけはたくさんある西口は、すぐに指名手配されます。

 

事件の翌日に福岡の旅館に現れた西口は、翌朝の新聞で指名手配を知り、関西方面に逃げたと思われているらしいことをこれ幸いとして、そのまま九州に留まります。福岡から佐賀に行き、競艇で21万円を稼ぎ、佐賀県警宛に手紙を書きます。

 

逃げるつもりでいたが、悔い改めて自殺することにした、だから君たち(警察)には捕まらないというような内容だったようです。実際、宇高連絡船(うこうれんらくせん。岡山県玉野市の宇野駅と香川県高松市の高松駅との間で運航されていた連絡船)から投身自殺を図ったという情報が、香川県警と福岡県警に入りますが、水死体は上がらず、警察は偽装自殺と判断、捜査は続いたため、西口は別人に変装して潜伏することを決めます。

 

潜伏

静岡に逃げた西口は、メガネをかけてコートを羽織り、専門書を持ち歩いてそれっぽく見せ、詐欺の経験を生かし、大学教授として旅館に潜り込むと、女将とその母親を騙してしばらくそこに留まります。

 

しかし、いくら騙せたとはいえ、ずっと旅館にいれば怪しまれる可能性があります。そのため、最初に滞在期間を伝えておいて、その日が来ると旅館を出ます。いったん広島に行って、出稼ぎのように詐欺を働いたあと、静岡の旅館に戻った西口を、女将と母親は歓迎しました。先生、また来てくださったんですね、と。

しかし、西口にそんな思いを感じ取る能力はありません。躊躇いなく女将と母親を絞殺すると、貴金属を奪って質屋に入れ、委任状を偽装して旅館の電話の加入権まで質屋に入れてしまいます。

 

金を手に入れて西口はご満悦だったかもしれませんが、警察の包囲網は狭まっていきます。

電話の加入権を質屋に入れてから三日後、警察は西口を、重要指名被疑者要綱に基づき、特別手配します。重要指名被疑者要綱とは、簡単にいえば、現場の刑事が携帯するものや、交番などに張り出す手配書も、警察庁が作成して配布する、というものです。

 

そんなことは知らない、知っていてもおそらく気にしない西口は、犯行を重ねていきます。

昭和38年12月3日、千葉に現れて、千葉地裁の会計課職員になりすまして詐欺を働き、その二日後に弁護士事務所に入り込んで弁護士バッジを奪うと、北海道に逃げます。

 

北海道でも詐欺を働き、東京に移動して詐欺を働き、年末の29日には、東京弁護士会に所属している年配の弁護士を殺害して、現金と弁護士バッジを奪って逃げます。

警察庁が出てきてもまったく状況は良くなっていない……しかし手配書には、確かに意味があったのです。

 

少女は見抜いていた

警察庁が作った手配書には、西口がメガネをかけている顔と、かけていない顔、さらにはいくつかの角度から写したものが載っていました。

そして、年が明けた昭和39年1月2日、西口は熊本県の立願寺(りゅうがんじ)というお寺に現れます。なぜ寺に? と思うところですが、理由がありました。

 

立願寺の住職は、福岡事件という戦後すぐに起こった事件について、冤罪だとして、加害者の救援活動を行っており、西口は福岡に服役していたとき、住職を見たことがあったのです。

 

弁護士バッジをつけて弁護士を名乗り、自分も救援活動を手伝いたいと言った西口を、住職は歓迎します。しかし、どんなに表面を取り繕っても、子供は内側からにじみ出る本当のニオイを嗅ぎ分けます。大人が見た目で騙されても、子供には分かる……10歳になる住職の娘は、西口を怪しみ、町で見た手配書と同じ顔をしていることに気づきます。

 

しかし歓迎モードの父親に言っても、そんなわけがないと言われてしまうのがオチです。そこで、表面上は歓迎しながらも、西口を懐疑的に見ていた母親に話します。母親は交番に行って手配書を確認、メガネをかけているとき、かけていないとき、複数の角度から撮られた顔写真……母親は、家にいる男が手配書の男だと確信します。

 

翌日の1月3日、西口は娘と母親の雰囲気から、自分が疑われていることを感じ取ったのか、理由をつけて逃げようとしますが、時すでに遅く、そのとき警察は家の周りを取り囲んでおり、逃げ切ることはできず、ついに逮捕されます。

 

騙すも殺すも躊躇なしのサイコパス

西口は、殺人5件、窃盗2件、詐欺10件で起訴されます。弁護士は、今でもよく見かける精神的な問題という答弁をしますが、そんなものが通るはずもなく、死刑が確定、昭和45年に執行されました。

 

逮捕後の取り調べでは、詐欺はしんどい、殺人のほうが楽だと口にしていたようで、その異常性の一端が見えます。財布にお金がなくなって必要になった場合、ほとんどの人は銀行に行くと思いますが、西口は「あ、金がなくなったな、騙し取るか……でも面倒だし、殺すか」という思考で犯罪を繰り返していたと思われます。

 

ギャンブルと女遊びが大好きで、外的な刺激によってしか自分を満たすことしかできず、手っ取り早いという理由で詐欺や殺人を起こすことを繰り返していました。衝動的なタイプではないですが、遺体の処理という最大の手間が発生する殺人のほうがいいと言ってしまうあたり、口はうまかったと思われますが、頭が良かったとは言えません。

 

呼吸するように人を騙し、人を殺し、罪悪感も、人の痛みも感じないサイコパスと考えていいと思います。サイコパスだから殺人をする、犯罪をする、ということではありませんが、西口は殺人までするサイコパスだった、ということです。

 

実際にあった事件がもとになった日本の映画「葛城事件」

最後は「葛城事件」です。

こちらも、まず映画のあらすじを見ていきます。

 

この映画は、特定の誰かが主人公というものではなく、一見するとどこにでもありそうな、昭和の時代には珍しくなっただろう家族を中心にして進んでいきます。

 

親から受け継いだ金物屋を経営し、亭主関白で高圧的な父親、清。そんな夫に意見を言えない妻、伸子。勉強はできるものの、気弱で自分の意見が言えない優等生タイプの長男保、そして、飽きっぽく高圧的で口が達者な次男、稔という四人家族を中心に話は進んでいきます。

 

清は勉強を教えても手応えがなく、一発逆転を口癖に行動を持続できない稔を嫌っていますが、実は稔は、清と良く似ています。高圧的で、人に説教をしたり、口が達者なところですが、本人のその自覚はなく、ダメな息子という一点で嫌っています。

 

一方、長男の保は、言うことを良く聞いて勉強もし、しっかり就職して結婚して子供もいる、素晴らしい息子だと思っていますが、保のほうは気弱な性格から、父親の期待に応えることが目的になっており、自分の幸せや、やりたいことが分からなくなってしまうタイプであり、外からは見えない心の問題を抱えています。

 

子供が成人したのを機に、伸子は料理を作らなくなり、デリバリやコンビニのものに頼るようになり、稔は相変わらず、保だけがうまくいっているように見えましたが、妻が二人目の子供を妊娠した頃、リストラにあって無職になっており、必死に再就職先を探すも見つからず、やがて投身自殺を図ります。

 

伸子は精神を壊して入院、家族が崩壊していく中、何もうまくいかずに自暴自棄に陥った稔は、用意していたサバイバルナイフを持って地下鉄の駅に行き、高校生など複数の人間を殺傷、逮捕され、死刑が確定します。控訴もせず、早く死刑にしろと言う稔の前に、順子という、死刑廃止論者の女性が現れ、自分が立ち直らせてみせると、獄中結婚をします。

 

順子は、稔がこんな事件を起こしたのは、十分な愛情を受けられない環境で育ったからで、自分が妻として愛情を注げば他人に対する思いやりや優しさを取り戻してやり直すことができると考えており、稔に何度も面会して話しますが、その甘い考えは破れ、稔の性質は変わることなく、何も変えることができないまま死刑は執行されます。

 

清だけが残った家の壁には、人殺し、クズ、などといった落書きがされており、清自身もボロボロになって自殺を図るも失敗、一人、コンビニで買ってきた蕎麦を食べる清だけが残り、物語は幕を閉じます。

 

すべてがうまくいかないという理由で大量殺人を起こした最悪の殺人犯

「葛城事件」は、支配的な父親が起因となって形成された歪な家族が、うち一人起こした大量殺人事件によって崩壊するという、救いようない内容の映画でした。

この映画のもとになったとされるのは、映画以上に凄惨なあの事件です。

 

「大量に人を殺害すれば、元妻は自分と知り合ったことを後悔するだろうし、世間の多くの人も絶望的な苦しみを味わうだろう」

 

平成13年(2001年)6月8日、何の罪もない13人の子供と、2人の教師を殺傷した男は、そう口にしました。当時37歳だった男の名は宅間守、日本の犯罪史に残る「附属池田小事件」の犯人です。

 

上記のような狂った発想に至る以前、何があったのでしょうか。ここからは、葛城事件のモデルとされる付属池田小事件について見ていきます。

 

子供の頃から問題行動あり

犯人の宅間は、大量殺人を起こす以前から何度も犯罪を起こしており(後述)、うまくいかないことをすべて他人のせいにして、自ら人生を破滅させていった挙げ句、大量殺人という最悪の事件を起こしました。

 

幼少期から、三輪車で国道を走って渋滞を引き起こしたり、電車に石を投げる、自分より弱いものをイジメたり嫌がらせをしたりを繰り返し、犬や猫などの動物を焼き殺すなど、快楽型の連続殺人犯に見られる特徴も持っています。また、一般的には重宝される協調性もなかったようですが、協調性がなくても犯罪を起こすわけではないので、宅間個人の問題であると考えることができます。

 

小学5年のときに、後に大事件を起こす大阪教育大付属池田校のことを知り、勉強を開始するまでは良かったですが、両親からは、そんなもん無理だと言われ、受験を諦めています。この部分だけを見ると気の毒にも見えますが、こういった経験をする人は珍しくなく、犯罪の要因とは言えませんが、高学歴エリートに嫉妬の感情をもっていたと思われます。

 

その後は自衛隊に興味をもち、18歳とのときに航空自衛隊に入隊するも、家出した少女を家に泊めて性交渉したという理由で除隊となり、これ以降、犯罪歴が始まります。

 

大量殺傷以前にも犯罪を犯していた

自衛隊を除隊にされると、トラックの運転手や引越し業者の他、数十の職業を経験しますが、半年以上もたずに退職し、高速道路を逆走する、家族に暴力を振るう、知り合いの女性を呼び出して強引に肉体関係を結ぶ(強姦といって差し支えない)などの犯罪行為を起こすようになります。

 

マンション管理会社に勤めていた1984年には、家賃の集金を装って女性の部屋に強引に上がり込み、女性の顔を殴りつけて首を絞め、強姦するという事件を起こします。

女性が被害届を出したため、宅間は精神に問題があることを装うために、幻聴がするなどと偽って診察を受け、母親には、暴力を振るわれていると証言するように強要、結果的に精神分裂症と診断されて閉鎖病棟に入院します。

 

しかしそのことに不満をもち、病院の五階から飛び降りて重傷を負いますが、これもすべて、強姦罪で逮捕されるのを回避するための行為であり、自分ではなく他人や社会が悪いという考え方を色濃くし、逆ギレで世間に復讐するという方向に歩みを進め、犯罪行為を繰り返すようになります。

 

結局、精神分裂症の嘘を通すことはできず、強姦罪で懲役三年が確定しますが、服役中に書いた手紙によると、五階から飛び降りたのは、協力してくれなかった母親のせいだと、ここでも他人のせいであることを強調します。

 

出所後はダンプやトラックの運転手をしていたようですが、その間に二件の危険運転致死事故を起こしています。

両方とも、宅間のあおり運転が原因であり、片方は嘘の証言で逃れ、もう片方は、煽られた乗用車が事故を起こして運転手が死亡したため、そのまま逃げて事件になることがなかったという、許しがたいものでした。

 

その後も、医師だと嘘をついて看護師の女性と関係をもった後、強引に結婚、すぐに医師でないことが発覚して離婚したり、財産目当てで養子縁組をしたのち、暴力を振るって金を取るという強盗のようなことをして離縁、お見合いパーティで知り合った女性のことを、ストーカーのように実家の住所を調べたり、結婚しないならおまえを殺して自分も死ぬと脅して強引に結婚、暴力を振るったり周囲とトラブルを起こすなどして離婚といった、殺人以外の犯罪をコンプリートする勢いで、知り合った人間ほぼすべてに迷惑をかけ続けます。

 

1999年には、池尻小学校の用務員をしていましたが、そのときに先生たちが飲むお茶に精神安定剤を混入させる事件を起こし、動機は、先生たちに無視されて家族ともうまくいかず、むしゃくしゃしてやったというもので、自分の行動が引き起こした結果を逆恨みして人に危害を加えるという、救いようのないものでした。

 

その後も、数々の傷害事件を起こし、住んでいた家では、近隣住民からの苦情が殺到したため、大家から退去するように言われており、大量殺人事件の直前には、住居侵入で逮捕され、暴行・器物損壊容疑で書類送検もされていましたが、精神の問題を理由に不起訴になっているものが多く、もっと早く本質に気づけていれば、最悪の悲劇は起こらなかったかもしれません。

 

すべては他人のせいが行き着いた大量殺人

事件前日の2001年6月7日の夜、宅間は過去に思いを巡らせます。

自分は何をやっても裏目に出る、用務員の仕事も、彼女(元妻)を別れてイライラしていたことが原因で、借金があったのもすべて彼女のせいで、殺しておけば良かった、生活に困って自殺できない自分も情けない、しかしもし自殺しても彼女が喜ぶだけだから、大量に人を殺害すれば、彼女は自分と知り合ったことを後悔するだろう、などと考えて犯行を思いつきます。またこのとき、子供のほうがやりやすいと考え、嫉妬の念をもっていたエリートの卵たちをターゲットにしようと考えて、悲劇は起こったのです。

 

逮捕されたあとの取り調べでは、エリートでインテリの子をたくさん殺せば確実に死刑になると思ったなどと供述しており、常套手段である精神障害を装いましたが、今回ばかりは通らず死刑が確定、すでに執行されています。

 

宅間という人物の心理

生まれてから死刑になるまで、自分に問題があるかもしれないから改善しよう、という発想を一度ももたなかったと考えられるほどの身勝手さで事件を起こした宅間の心理は、どういったものだったのか考察してみます。

 

①大量殺人犯の特徴

大量殺人の定義は、国によっても異なりますが、日本では「一人、または少数の犯人が、二人以上の被害者を一日以内に殺害し、事件現場が複数になる場合は、少なくとも一つの現場(半径1km以内)で二人以上の被害者を殺害しているタイプの殺人」とされることが多く、この定義をもとに、2014年に行われた日本の研究(対象は1974年~2011年に日本で発生、犯人も特定され、情報収集ができたもの)で見ると、大量殺人は三つのタイプに分類されます(海外の研究では別の分類もあります)。

 

分類は、無差別殺傷型、強盗殺人・怨恨殺人型、一家心中型です。

宅間はこの中で、無差別殺傷型の傾向が強く出ています。

 

無差別殺傷型は、プライドが高く、自分に見合っていると本人が思っている職業に就けておらず、社会が自分に対して冷たい、不当に扱われていると考えます。そしてその理由を、社会や個人、あるいは特定のカテゴリーが悪いと考え、自分に問題があるかもしれない、自分が変われば変化があるかもしれないといった発想がありません。

 

自分の考え方や行動を変えないため、当然のことながら状況は悪化、犯行を計画し始め(無計画にやっていると思われがちですが、実際にはかなり計画的に考えて実行します)、トリガーとなる出来事、たとえば離婚、リストラなどといったことを経て、犯行を実行します。

 

宅間の場合は、事件直前まで元妻の殺害を考えており、出会い系パーティで知り合った女性に借金を求めるも断られ、実行を決意したという経緯があったようで、ここがトリガーになったと思われます(元妻も断った女性も何も悪くありませんが)。

 

また、犯行後には自殺することが多いですが、宅間は「エリートでインテリの子をたくさん殺せば確実に死刑になると思った」というふうに、間接自殺型(2003年と2008年の研究で分類されたうちの一つ。自殺はできないが犯行によって死刑になることを望むタイプ)の傾向もあります。

 

海外でも大量殺人犯の分類はありますが、簡単にまとめるなら、被害妄想的で自己効力感が乏しく、自暴自棄になって複数の人を殺害するというタイプといえます。

 

②宅間の心理

強盗のようにお金を目的にしているわけでも、快楽型殺人犯のように、殺人そのものに快楽を感じているようには見えません。犯行に一貫性があるようには見えませんが、自分の思い通りにならない状況に対して不満をもち、不満のはけ口として、自分より弱い存在を力でねじ伏せて、いっときの優越感を得ようとしているようにも見えます。

 

大量殺人犯についての海外の分類で、パワー型という、自分の力を誇示するために殺人を行うというものがありますが、根っこにあるのは、自分は社会から抑圧されていて力を発揮できていないというものがあるので、このあたりの要素も含んでいるかもしれません。

 

また、人との関係を深めるには、ときにはぶつかり、意見の対立があり、それを乗り越えて関係は深まりますが、宅間は自分の考えや思いをぶつけてその通りにさせようとするだけなので、当然人間関係は破綻、仕事もうまくいかず、問題行動を起こして厄介者扱いされることになります。しかし、宅間からすると、それもすべて相手のせいなので、ただただ不満と怒りが蓄積されていき、大量殺人という最悪の結論に至り、実行までしてしまったと思われます。

 

③生い立ちは関係しているのか?

こういった事件を起こす背景として、必ず取り上げられるのが生い立ちです。虐待や育児放棄など、子供の頃の環境に問題があったことが遠因だとされることもありますし、それは一定の要素は満たしていると思います。

 

しかし、酷い環境にありながら、コツコツと努力して幸せを掴む人もいれば、いっときグレるなどして問題を起こしたとしても、その後考え方を改めて人生を変えていく人もいます。よって、環境は犯罪を起こす要因の一つにはなるものの、だからしょうがないといったことにはなく、宅間個人の問題ということができます。

 

子供の頃にやりたいと思ったことを親に否定されるのは、確かに辛いことですが、さほど珍しいことでもありませんし、大人になってからそのときに作られた負の思い込みを解消することもできます。

 

④元凶はその考え方

宅間は、問題が起こっても自分を顧みることなく、すべて社会や他人のせいにしてきました。その行き着いた先が大量殺人だったわけですが、どこかのタイミングで自分と向き合い、考え方や行動を変えることができたなら、別の人生を歩けたはずです。

 

変えるのは簡単ではありませんが、不可能ではなく、そういったことを一切しなかったのは宅間自身の問題であり、同情の余地はありません。

 

映画と実話の決定的な違い

実際にあった事件をもとにした日本映画について書いてきましたが、どんなにリアルに描いても、映画と事件には決定的な違いがあります。それは、映画にはテーマがあるが、事件には生々しい残酷さがあるだけ、ということです。

 

フィクションであれば特に、事件を通して何かを伝えるというのが一般的なので、裏にどんなテーマがあるのか? ということを気にしながら観ると、そこから得られるものがあるかもしれません。

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