「50回目のファーストキス」は山田孝之と長澤まさみ主演のラブストーリー映画で、2018年に公開されました。この映画はアダム・サンドラーとドリュー・バリモア主演で、2005年に公開されたハリウッド映画のリメイク版です。
ハリウッド版が名作なだけに、日本版も期待されていましたが、その内容に“ひどい”という声も聞こえてきます。では日本版「50回目のファーストキス」は何が“ひどい”と称されている原因なのでしょうか?
この原因を探り、あらためてハリウッド版と日本版を見比べることで、さらに「50回目のファーストキス」を深く理解することができます。
この映画が好きな人もイマイチだった人も、ぜひ最後までご覧ください。
日本版「50回目のファーストキス」あらすじ
ハワイオアフ島でツアーガイドをするプレイボーイの大輔(山田孝之)は、ある日カフェで食事をとる瑠衣(長澤まさみ)に一目ぼれしてしまう。大輔は瑠衣に話しかけ、やがて意気投合する2人。
翌日、カフェで大輔が瑠衣に話しかけると、瑠衣は大輔を覚えていない・・・。
彼女は1晩で記憶がリセットされてしまう記憶障害を抱えていた。
それでも瑠衣をあきらめきれない大輔は、あの手この手で、初めてを装って毎日、瑠衣に話しかける。そして毎日恋に落ちる2人は“ファーストキス”を繰り返すのだった。
やがて大輔は、自分の記憶のズレに気づき、苦しみ始めた瑠衣を支え続ける。
日本版「50回目のファーストキス」は何がいけないのか?
ハリウッド版の魅力
ハリウッド版の本作は、あらゆる女性を口説く“プレイボーイ”のヘンリー(アダム・サンドラー)が主人公です。
日本人は欧米人が持つ、この“プレイボーイさ”に新鮮さと憧れを抱いている節が少なからずあります。そして“プレイボーイ”が一人の女性を愛し続ける“純愛”に発展する予想外の展開が、この映画の見所のひとつです。
“プレイボーイ”ではなく“チャラい男”の純愛というギャップ
舞台がハワイということもあり、ハリウッド版は、日本人の頭の中に“プレイボーイの純愛”という、ある種のおとぎ話のようなイメージが先行しているように思えます。
この設定を日本人が日本人キャストで“そのまま”リメイクしてしまった「50回目のファーストキス」では、日本人が想像する“プレイボーイの純愛”という先行したイメージにギャップを与えてしまいます。
山田孝之演じる大輔も、ハリウッド版ヘンリー同様に、女性好きな人物として描かれていますが、日本人から見た大輔は、やはり見慣れた日本人。“プレイボーイ”というよりは、もっと身近な存在、いわゆる“チャラい男”として映ってしまうのではないでしょうか。
“プレイボーイ”は日本人が欧米人に抱く“幻想”に近いものがあり、“チャラい男”は、身近にいるただの“女たらし”という生々しい印象を与えてしまいます。
そんな冷ややかな目で見られる“チャラい男”の“純愛”が、日本人には受け入れがたい行動として映り、この映画にのめり込めない要因になっていると思われます。
主人公に共感が生まれないことは、映画としては非常に苦しい点でもあります。
「ハワイに住む日本人」というしっくりこない設定
ハリウッド版同様に、物語の舞台はハワイですが、舞台だけ忠実にハリウッド版に則り、キャストは日本人で構成されるため「ハワイに住む日本人」という、あまりしっくりこない設定が生まれてしまいました。
この映画で主演を果たした山田孝之と長澤まさみは、2005年公開の映画「その時は彼によろしく」でオシャレな都会の雰囲気にマッチしていたイメージもあり、2人の印象と舞台設定がどうしてもリンクしません。
どうせリメイクするならば、日本の都会を舞台に、山田孝之と長澤まさみの“らしさ”を活かしたオシャレな作品を観てみたかった気もします。
また、映画の大切な要素として舞台の美しさが挙げられます。舞台がハワイにもかかわらず、ハワイのきれいな景色などを上手に表現できていないため、「ハワイが舞台でなくても良かったのでは?」という疑問も湧いてきてしまいます。
シリアスさと笑いのバランスが・・・
この映画は、長澤まさみ演じる瑠衣の記憶障害に苦しむ姿と、それを見守り続ける周囲の人たちのヒューマンドラマが主軸になっています。少しシリアスな設定ですが、所どころには、ギャグ路線なども織り込まれていて、観る者の笑いを誘っています。
しかし、そのギャグ路線が度を過ぎていて、せっかくの息をのむシーンが白けてしまい、感情移入ができなかったというレビューが目立ちます。
予告編を見る限りは、純ラブストーリーな本映画ですが、中身はコメディ要素が少し強めに入っているため、そのギャップを受け入れられなかった人もいるようです。
純ラブストーリーにしたいのか、ラブコメディ映画にしたいのかで迷いがあるような印象です。
それでも豪華俳優陣の演技は素晴らしい
ここまで批判的なことを書きましたが、それでも出演者は超一流の俳優陣が集っている日本版「50回目のファーストキス」。シリアスな場面や純愛のシーンでは、思わずその演技力の高さに魅入ってしまいます。
それだけに様々なギャップが生じ、批判的な見方になってしまう今作。考え方を変えると、どんな設定の映画でも自分の魅力を引き出し、魅せる演技ができる出演者たちの職人魂を感じられる作品なのではないでしょうか?
まとめ
ハリウッド版のリメイクで2018年に公開された「50回目のファーストキス」に関する“ひどい”という意見について、その所以を考えてみました。
良く考えてみると、ハリウッド版がかなりの完成度で“本家”として君臨する「50回目のファーストキス」は、リメイクのハードルと期待値が高いことが容易に想像できます。
この名作をリメイクに踏み切った、脚本・監督を務めた福田雄一氏のチャレンジ精神は脱帽ものです。
本家ハリウッド版と日本版を連続で鑑賞し、その違いやギャップを感じ比べるのも楽しそうですね。
今度の週末は、“ダブル”「50回目のファーストキス」鑑賞会を開いてみてはいかがでしょうか?映画の楽しみ方に新たな発見が生まれるかもしれません。